

―ぞろぞろと、幾日もぶっ続けに、敗残のぼろ部隊が町を通っていった。軍隊などというよりも、流浪民の群れだった―
◆舞台は普仏戦争中の北フランス、ノルマンディー地方。
1870年、皇帝ナポレオン3世はプロイセン軍の捕虜となり、皇帝を失ったフランスは第3共和制へと移行していた。
翌年にはプロイセン軍はパリに迫り、勝利の後にはヴェルサイユでドイツ帝国の建国式典を行うことになります。
本書書き出しの「ぼろ部隊」とは撤退するフランス軍のこと。
彼らが、ルーアンの町を通過するシーンからこの物語は始まります。
ここでは、19世紀の戦時下の市民感覚を感じとることができます。
進駐軍が数人に分かれて泊まりにくるのを受け入れなければならない市民たち。
士官たちによくすることで、兵士の割り当てを少なくしてもらおうとします。
そうかと思えば夜陰に乗じて、プロイセン軍の兵士を殺してしまう者。
司令官とのコネクションを活かし、町を抜け出そうとする商魂逞しいブルジョワたち。
普仏戦争などは、教科書だとあっというまに終わってしまう出来事ですが、そこに生きる市民たちにとってはたまったものではなかったんですね。
◆登場人物は、プロイセン軍の進駐を受けたルーアンの町から逃げ出そうとする10人の男女。
1組の伯爵夫婦、2組の大小ブルジョワ夫婦、2人の修道女に、髭の民主主義活動家。
そして「脂肪の塊」という渾名を持つ魅力的な娼婦、エリザベート・ルーセが避難のために1台の馬車に乗り合わせます。
雪道のため馬車がなかなか進まない中、エリザベートは空腹な同乗者たちに自分の持ってきた食料を勧めてやり、一行は経由地トートの町にたどり着く。
しかし、この町もすでにプロイセン軍に占領されており、なんと司令官は一行の出発を阻みます。
その理由は、エリザベートが司令官の「相手」をするのを拒んだためでした。
当初、エリザベートに同調していた一行も、彼女のせいで動けないでいるのに腹を立て、あの手この手で彼女を説得にかかります。
戦争相手のプロイセン軍人と寝ることを嫌がっていたエリザベートも、最後には折れました。
予定外の滞在を経て出発した一行は、もはやエリザベートなどいないように振る舞い、食事を用意する暇もなかった彼女を尻目に自分たちだけで食事をはじめます。
彼らのための犠牲にされ、なおかつ感謝もされずに蔑まれ、エリザベートは車中でひとりすすり泣きます。
そんな中、民主主義者は我関せずでラ・マルセイエーズ(フランス国歌)を口ずさむ。
◆この物語からは、モーパッサンの痛烈なブルジョワ批判、虐げられる女性への共感が伝わってきます。
お高くとまって常識人ぶるくせに、優しさも恩を返すことも知らない上流階級やブルジョワたち。
それとは対照的に、愛国心と親切心に満ちた娼婦。
最後のシーンは、この時代にも残る色濃い身分や立場による差別、女性の立場の弱さを印象的に示しています。
◆印象的な台詞をひとつだけ紹介します。トートの町で、一行はプロイセン兵たちが宿泊している家の仕事に励んでいるのを見かけます。
じゃがいもの皮をむいたり、薪を割ったり、家の掃除をしたり、赤ん坊をあやしたり…。
教会の雑用係によると、彼らはプロイセン人ではなく、もっと遠くから来たとのこと。
台詞は、この雑用係のものです。
「国には女房子供をおいてきたものばかりですからな。だから戦争が面白かろうはずもありませんや。きっと、国もとに残された者だって泣いてまさあ。ひどい目にあうのは、こっちばかりじゃなく、あっちだって同じことでさあ。(中略)旦那、貧乏人というものは、助け合わなくちゃなりませんからな…偉い人たちが戦争をしたがるんで」
本筋に関係ない人物の台詞ですが、戦争の本質を掴んでいるいい台詞だと思います。
新潮文庫には『テリエ館』という物語も入っています。
こちらは打って変わって娼婦の大活躍劇です。どちらも短編ですので、ぜひ読んでみて下さい。
◆参考:ギイ・ド・モーパッサン 著 青柳瑞穂 訳『脂肪の塊・テリエ館』1951、新潮文庫(1880、フランス)