


―独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君を欲しがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認心理といってもよい―
◆夏目漱石も絶賛したといわれる『自負と偏見』の書き出しです。
なんともユーモアあふれた文章で、ついニヤリとしてしまいますね。
舞台は、18世紀末のイギリス南部の田舎町。物語は「独りもので、金がある」青年紳士ビングリーが、五人の娘を持つベネット家の隣に引っ越してきたところから始まります。ベネット家の母親は、どうにかして娘達をこの青年に引き合わせようと、画策するのですが…。
物語の主人公は、ベネット家の次女エリザベスと、ビングリーの親友ダーシーです。
原題は“Pride & Prejudice”でPrideは高慢とも自負と訳すことができます。作品の中では、優しさを持ちながらも自負心が強いために、つい冷淡で鼻持ちならない態度をとってしまうダーシーと、聡明でいながらも、そんなダーシーに偏見を持ってしまうエリザベスが、互いの「自負と偏見」を乗り越えていく様が描かれます。
◆読んでいて面白いのは、身分の持つ意味の重さです。エリザベスも、ダーシーも、いわゆる上流階級。この上流階級にはジェントリ(紳士階級)から貴族までが含まれます。
別名、有閑階級(閑はヒマという意味)と呼ばれるように、基本的に地主で、仕事もないので、散歩や会食、カード遊びや晩餐会が彼らの日常でした。
上流階級の下には、熟練工や医師、弁護士、資本家などの専門職からなる中流階級があり、さらにその下には農民や都市の非熟練工、使用人などの労働者階級がありました。
こう見ると、エリザベスとダーシーの間にはそこまで大きな身分差はなさそうですが、実は上流階級の中でも貴族とジェントリの違いが、さらにジェントリの中でも上下の身分に大きな違いがあるのです。
貴族に親戚がいて、広大な所有地をかかえる家と、親戚には弁護士(中産階級)がいて、所有地も狭いような家とは、表面上の付き合いは同格でも、結婚となると話は違ってくるのです。仕事をしているような人間が親戚の家とは付き合えない、というわけですから現代から考えると随分価値観が違いますね。
驚くべきことに上流階級には「働かないこと」が美徳とされていたわけです。
◆著者のジェーン・オースティン(1775-1817)はイギリス南部の牧師の家に生まれました。
彼女の生きた時代は、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争にウィーン会議と、まさにヨーロッパ激動の時代です。しかし、当時の政治状況は小説にはほとんど登場しません。
諸説ありますが、彼女は人間の本質を描くのに、時事的な問題ではなく、恋愛という普遍的な問題をテーマにしたという評価もあるようです。
◆参考:ジェーン・オースティン 著 中野好夫 訳『自負と偏見』1997、新潮文庫(原作:1813、イギリス)